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第五章 「収束」




私達は今新聞社にいる。今日は佐緒里さんがいないので二人きりだ。むふふ! 昨日片岡圭一さんの名前がその日の朝刊に載っていたことを倉橋君に話すと、早速連絡を取り次の日の夕方に会う段取りを取った。仕事が早い! それに佐緒里さんは家の手伝いで今はいないので二人だけだ。 しばらくロビーのようなところで待っていた。結構広いロビーで、丸テーブルとそのテーブル毎に背もたれの高い木製の椅子が四脚ずつ、全部で六セットある。ちょっとしたカフェテラスのようだ。二人で座っているとデートをしている気分。私がそんな感慨に浸っていると、奥から一人の男性が現れた。年齢は四十才位かな。きりっとした顔立ちで、背も高く新聞記者のようには全く見えない。その男性は私達に近付くと、
「倉橋さん?」
 少し警戒した面持ちで話しかけてきた。
「はい」
「はい」
 二人同時に返事をして椅子から立ち上がった。その男性はびっくりしたような顔をしている。お〜! まさにシンクロ!
「すみません、二人とも名字が同じものですから」
「二人は親戚か何かですか?兄妹というわけではなさそうですし」
「いえ、たまたま名字が同じだけで、全く何の関係もありません」
 何だか寂しい響きに聞こえるのは私だけ?
「申し遅れました。私片岡といいます。ところで今日は何の用で?」
 座りましょう。と右手を椅子の方に差し出しながら自らも椅子に座る。この辺のさり気ない行動と話のもって行き方は、流石新聞記者という感じがする。私の華麗な洞察力?でそんなことを思っている横で、倉橋君が昨日の朝刊から切り取ったと思われる記事を取り出し 、
「この記事は、片岡さんが書いたものですか?」
「そうですが、この記事が何か?」
 当然自分の記事の確認は行っているのだろう、即答で答えた。
「野中弘美さんをご存じですか?」
 いきなり核心を突く質問をする。何だか刑事さんみたいで別の顔の倉橋君を見ているみたい。片岡さんは質問の意図を把握できなかったようだ。
「どうして彼女の名前を?」
 何事かと言うような顔で言った。
「先日人恋坂で彼女に会いました」
「!」
 片岡さんの表情から息を飲むのが分かった。息を飲むってこういうことを言うんだ。
「彼女は十五年前に事故で亡くなったはず、人違いではないですか?」
「ほぼ間違いはないと思います」
 倉橋君は胸ポケットから一枚の写真を取りだして片岡さんに見せた。
「弘美!」
 片岡さんの反応から、間違いはなさそうだ。でもいつの間にそんな写真を手に入れたのだろう?
「確かに彼女はもう亡くなっています。でも霊となってまだこの世に残っていて、そして今彼女はこの倉橋志緒理という女の子に寄生しています」
 寄生って何だか嫌な響き。
「寄生?」
 怪訝な表情で片岡さんが言った。片岡さんも言葉の響きに嫌悪感を感じたようだ。  
「寄生という表現は適切ではないかもしれません。でも憑依という言葉も適切ではないと思います」
 倉橋君は一旦言葉を句切ると、私の方を見た。そして小さく息を吐くと再び片岡さんの方を向き、
「彼女は貴方に対する未練が断ちきれずに現世を彷徨っています。地縛霊となったため人恋坂から移動することが出来ません、たまたま波長のあった倉橋に寄生するようなかたちで貴方を捜そうと思ったのでしょう。でも倉橋を自分の意志で動かすことが出来ない。だから憑依というわけではないのです」
 あたかも信じられないという表情で倉橋君の顔を凝視していた片岡さんは、
「彼女は貴方に会いたがっています。うまく説明は出来ませんが僕は霊が視えるという少し変わった体質で、今も倉橋の中に彼女がいるのがわかるのです」
 その言葉に私は背筋が寒くなる。決して気持ちのよい言葉ではなかった。でも倉橋君が近くにいるだけで安堵感と安心感が私を包んでいる。
「彼女に会えるのですか?」
 肩を落として俯き加減に言った。やはり片岡さんもまた彼女の呪縛から解放されていないのだろう。私は片岡さんの表情を見てそう思った。
「私と彼女は当時婚約していました」
 小さな声で片岡さんが語り始めた。
「あの日も彼女は仕事帰りに私の所に来るはずでした。式を控えていたので準備の打ち合わせをする予定だったのです…。でも彼女はいつまで経っても来ない。心配になった私は彼女を迎えに行こうと、彼女がいつも通る道を対向から走っていると救急車とパトカーが見えたので、何となく嫌な予感がしてそこに向かいました」
 ここで一呼吸置き、
「そこで私は見たくないもの、見てはいけないものを目の当たりにして、一瞬頭の中が間違いであって欲しいという否定の言葉で埋め尽くされました。そう、彼女が…」
 それ以上は言葉にならなかった。
「もういいですよ」
 倉橋君と一回りは違うであろう年上の彼に優しく言った。年齢的立場が完全に逆転している。
「彼女に会いに行きましょう。そして今までの呪縛を解きましょう。彼女もきっとそれを望んでいるはずです」
 片岡さんに話しかける倉橋君の姿は、悟りを開いたお釈迦様のように神々しく私には映った。



 時刻はすでに五時を回っていた。空に灰色の雲が覆い被さるように立ちこめているせいか真夏だというのに少し薄暗い。私達は今人恋坂に来ている。倉橋君の話だと野瀬弘美さんが完全な状態で姿を現せるのは、どうやらこの人恋坂だけのようなのだ。確かに私の部屋に姿を見せた時は二度とも顔、又は上半身だけだった。
 事故現場の前まで来て片岡さんの顔を見るとどうやら半信半疑のようでソワソワとした感じが窺える。
「野瀬さん、片岡さんを連れてきましたよ」
 倉橋君のその問いかけに、昨日と同じように辺りが"もわっ"としたかと思うとその"もわもわ"が白い固まりとなり、それが野瀬さんの体へと変化していった。
「弘美!」
 真っ先に片岡さんが反応した。その表情から何がどうなっているのかという困惑が手に取るように伝わってくる。その場から動くことが出来ないようだ。しばらく片岡さんは野瀬さんを見つめていたが、落ち着いてきたのか一歩野瀬さんの方に歩み寄った。野瀬さんも片岡さんをじっと見ている。この二人の姿に、私は恐怖を感じるどころか慈しみを感じていた。何て綺麗で微笑ましい状況だろう。二人は見つめ合い時折表情を変えながら言葉ではない会話をしているようで、私達に入り込む余地は全くないようだ。
 二人の無言の会話はしばらく続いた。見守るしかない私達は黙ってそれを見ていると、片岡さんが私達の方に向き、
「ありがとう。今までのわだかまりが胸からスッと落ちたようです」
 そして再び野瀬さんの方に振り返り、
「弘美、ありがとう。これからは前向きに生きていくよ。でも決して君のことは忘れない」
 その言葉に野瀬さんは優しく微笑むと、今まではっきりとしていた輪郭が少しずつぼやけていき小さな玉となった。その玉は空に向かって風船のようにゆっくりと昇っていった。何て気持ちの良い体験だろう。本来ならここで空が急に晴れてきて、気持ちの良い光が私達を包むはずなのだが、まだ空は曇ったままだ。
「これで終わったのよね?」
 私はほっとしたように倉橋君に尋ねた。これでやっと普通の生活に戻れると思っていたが倉橋君の言葉は、
「いや、まだだ」
「え!」
 その言葉に私の身体が反応した。自分の意志とは関係なく頭の上から足の先までザワザワと何かが走るような感覚がある。全身に鳥肌がうきでているようなそんな感じ。
 しばらくすると下腹部に熱が生じてきた。私はその場所に目を移す。以前にも見たことのある光景に、ふらついた私を後ろから倉橋君が支えてくれたので何とかその場に座り込むということは無かったが、頭の中が少しパニックになっている。
 え! 終わったはずでは?そう思っていた私の下腹部に痛みが走った。
「倉橋!大丈夫か?」
 背後から倉橋君の声が聞こえる。でも私は言葉を発することすら出来ない程の痛みに耐えるのに必死だった。朧気に困惑している片岡さんの姿が見える。
 どれくらいの時間が経過したのだろう、痛みが少しずつ和らいでいく、倉橋君の手から伝わる何かが痛みを和らげているようにも感じられた。そして下腹部の痛みが落ち着いてくると、痛みが和らいだ安堵からか意識が消えていくのを感じていていた。
「志緒理!」
 お母さん?  その声で私は目を覚ました。ゆっくりと目を開ける。白い天井、見慣れたライト、間違いなく私の部屋だ。私の意識は少しずつ現実味を取り戻していく。顔を横に向けるとそこにはお母さんの顔、そしてその隣に倉橋君の顔があった。
「あれ! 私何で?」
 所々記憶が欠如している。白いワンピース姿の野瀬さんが現れて、その後下腹部に劇激痛がおそってきて、何だか急に意識が遠のいてきて、ふわふわした感覚にとらわれて……。
「気が付いた? あなた急に倒れたらしくて巧巳君が背負って連れてきてくれたのよ」
 あのふわふわした感覚って倉橋君の背中の上だったの? 私は急に恥ずかしくなって、掛け布団を鼻の先まで持ち上げた。顔が少し赤くなっているのかな?
 「ん!」
 今、お母さん巧巳君って言った?私でさえそんな呼び方したことがないのに。
「人恋坂で車にはねられそうになって、巧巳君が助けた際に転倒して気を失ったみたいだけど大丈夫? 頭とか打っていない?」
「大丈夫! ちょっとびっくりしただけだから」
「本当にもう。気を付けなさいよ」
 お母さんは倉橋君の方を向いて、
「ありがとうね。巧巳君のおかげでたいしたことにならなくて本当に良かった。志緒理もちゃんとお礼を言っときなさいよ」
「うん」
 倉橋君本当のことをお母さんに話してないんだ。確かに話してもあんな事信じてもらえるとは思えないし。お母さんの心配が大きくなるのを避けるためでもあるのかな!
 お母さんが部屋から出て行くと二人だけになり、何となく気まずい雰囲気になっていった。
「ありがとう」
 私は恥ずかしかったので、布団を顔に被せたまま小さな声で言った。でもあの腹痛は何だったのだろう?野瀬さんはあの時天に昇って行ったのに。それにあの時の倉橋君の『まだだ』という言葉はどういう意味だったのだろうか? 私が視線を空に浮かせて考えていたのを怪訝に思ったのか、
「本当に大丈夫か?」
 倉橋君が私を覗き込むように言った。
「うん。でもあの時倉橋君は『いや、まだだ』って言ったよね。それってどういう意味だったの?」
 私は今しがた考えていたことを言葉にした。倉橋君は言いにくそうだったけど、意を決したのか、
「倉橋の体の中に野瀬さんとは違う、もう一人の誰かが入り込んでいたんだ」
 またしても聞きたくなかった言葉。
「最初に倉橋の前に現れて手首を掴んだ女性と、その後に現れた女性は別人だったんだよ」
「でも同じ顔をしていたような気がするけど?」
 考えてみれば、最初に見た女性はあまり怖さを感じなかったけど、一昨日見た女性には確かに恐怖を感じた。でも顔は同じだったような気がする。思い出したくもない思い出したせいか、私は小さく"ぶるっ"と震えた。
「それは、野瀬さんが双子だったからだよ」
 そうだったの? でも私は野瀬さんのこと知らないし、どうして野瀬さんが私の中に入っているのかという理由も分からない。 それに、野瀬さんのお姉さんか妹かわからないけど、その人が私の中にいるということも全く理解できない。
「野瀬さんの妹に当たる彼女は、お姉さんの弘美さんが亡くなる一ヶ月前に、同じように事故で亡くなっているんだ。事故と入っても自殺に近い状況だったらしい、自ら崖に突っ込んでいったみたいなんだ」
 片岡さんの新聞記事の"呪い"というのはここから来ているのかも。 「でも、なぜ妹さんは自殺みたいなことを?」
「よくある話だけど、彼女も片岡さんに好意をもっていたらしい。時々姉のふりをして片岡さんに会っていたみたいなんだ。片岡さんもどことなくおかしいとは思った時もあるらしいけど、あのそっくりな容姿にはっきりとは気が付かなかったようだ」
 そんなことがあったんだ。何だか悲しい出来事のように感じる。もし私に同じ境遇が起こったらどうしただろう? 倉橋君が話を続ける。
「お姉さんの弘美さんと片岡さんの結婚が決まった時、彼女は喜んで良いのか、悲しんで良いのか、どうしていいか分らなかったんだろう。それから直ぐにその事故が起こってしまった。自暴自棄になっていたんじゃないかと思う」
「妹さんが私の中に入る意味がよく解らないけど?」
 私の素朴な疑問。
「倉橋の中に入っていたと言うより、弘美さんの中に入っていたんだと思う。亡くなってまでも片岡さんの近くにいたかったのかもしれない。そして倉橋の体の中で二人の人格に分離したんだ」
 私の身体の中で、私の許可もなく何てことが起こっていたんだろう。そう考えると怖くなってきた。
「でも、もう大丈夫だ。倉橋は元の倉橋に戻っている」
 元の私? 倉橋君から見て元の私ってどんな私?
「取り敢えず今日はゆっくり休んだ方がいい、精神的にも参っているだろうし」
 倉橋君はそう言うと立ち上がり、
「明日の朝、迎えにくるから」
 そう言って私の部屋から出て行った。


第五章 「収束」 完