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第四章 「続発」




 その日の夜は、明日のことがあってか中々寝付けなかった。 十時に迎えに来るって言ってたけど。家まで来ると言うことは当然の如くお父さんかお母さんと顔を合わせる確率が高いわけで、特にお母さんなんかは絶対顔を出すに違いない。何たって興味津々だもん! こういう時のお父さんの気持ちって複雑なのかなあ?何たって一人娘だし。私に彼氏が出来るなんて想像してないよね。  
「!」
 べっ、別にまだ彼氏じゃないし。私何一人で盛り上がっているんだろう。
 机の上で頬杖をつき全く持って眠気のない冴えた頭でそんなことを考えながら一人で顔を赤らめている自分に気付き。
「ふう〜」
 大きく溜息をついた。端から見るとさぞかし変な子に見えるんだろうな。早く眠らないと、睡眠不足はお肌の敵っていうし・・・。 取り敢えずベッドに横になろうと思い椅子から立ち上がろうとしたところで身体に違和感を感じた。
「何?」
 どう表現していいのか分らない。でも何かがおかしい。そう椅子から立ち上がることが出来ないのだ。腰の周りに何十キロもあるベルトを巻かれているようなそんな感覚、もう少しで動きそうなんだけど動かないというジレンマ。何だか嫌な予感。 (少し落ち着こう)私は自分に言い聞かすように大きく深呼吸した。椅子に腰を据えて視線をゆっくりと腰の方に移す。
 予想していたとはいえ、それを視たときは声すら出なかった。あの時の女の人が、先週私の前に現れた霊が再び現れたのだ、それも私のお腹の部分からすり抜けるように顔だけを覗かせている。私は呆然というより、半分脳神経は死んでしまったかのように硬直している。 (どうすればいい? 倉橋君! 倉橋君! 倉橋君!)
 お題目のように倉橋君の名前を脳裏で連呼していたとき、机の上の携帯が音を立てた。その音で逆に冷静さを取り戻した私は、机の上に置いてあった携帯ではなく、その横に置いてあった小さなポシェットを掴むと目を強く瞑りそれを両手で包むように握りしめた。
 下腹部に動きがあった。腰が軽くなってくるのがわかる。目を開けるのは怖かったのでその状態でゆっくりと椅子から立ち上がり薄目を開けてベッドの方に移動した。身体がいつもの状態に戻ったのを自分なりに認識すると、ゆっくりと目を開けた。そこにはもう何もなかった。携帯電話の音が鳴り続けている。私は慌てて携帯を掴むと着信者の名前も確認せずに通話ボタンを押した。
「もしもし」
「俺、倉橋だけど」
 何と絶妙なタイミング! 私はその声を聴いたとたん全身の力が抜け落ちたかのようにベッドに座り込んだ。
 翌朝10時きっちりに倉橋君は迎えに来た。玄関チャイムが鳴った時には、ダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいた私より、まだかまだかとソワソワしていたお母さんの方が軽快な動きで先にでた。何て可愛いお母さん! これではどっちがデートに行くのか分からない。私も後を追うように直ぐに動いたが、玄関に行ったときには既に玄関扉が開いていて、びっくりしたような顔で倉橋君が立ちすくんでいた。それはそうだまさか母親がチャイムの音が鳴るや否や飛び出すように出てくるとは思わないだろう。
「あなたが倉橋君? 同じ名字だと何だか他人とは思えないわね」
 ニコニコしながらお母さんが言っていた。その言葉に少し緊張した面持ちで、
「おはようございます。志緒理さんはいますか?」
 こんな倉橋君初めて見た。割とクールなイメージがあったから何だか可愛い! 胸がキュンとしてきた。おっと! こんな感情に浸っている場合ではない。
「倉橋君おはよう!」
 お母さんの後から何事もなかったように声を掛け、お気に入りの靴に足を入れると、
「じゃあ、お母さん行ってきます」
 倉橋君の背中を押すように玄関から離れる。後方から「志緒理をよろしくね」という声が聞こえてきた。もう、お母さんたら! そんな言葉を尻目に早足で家を離れると倉橋君の横に並び、
「ごめんね、びっくりしたでしょう!」
「突然だったから少し驚いたけど、明るそうなお母さんだな・・・。ところで昨夜はあれからまた何か起こった?」
 昨夜掛ってきた電話で助けられた私は、ベッドに潜り込むと誰かに聞いて欲しいとばかりにその時のことを自分の初期感覚を交えて事細かに説明したのだ。少し焦っていたので上手く話せたかどうかは分らないけど倉橋君は何も言わず私の話を簡単な相槌程度で最後まで聞いてくれた。
 話すことで少し落ち着きを取り戻すと、しばらく世間話をして電話を切り、今起こったことは夢に違いないと思える程心地よい余韻を残しながら床に着いたのだ。
「大丈夫!あれからは何も無かった」
「そうか。それならいいんだが」  
「で、今から何処へ行くの?」  
私は期待二割、不安八割で尋ねてみた。なんせ前例があるもんね。
「もう一人合流する人がいる」
 貴重な期待の二割にビシッとヒビが入った。やっぱり・・・。重い思考を引きずりながら歩いて、先日行った神社の前を通りかかったところで見覚えのある顔に出会った。ガラガラ! 期待の文字がたった二割しか無かった期待の文字が崩壊した。よりによってこの人!
「巧巳遅い!」
 そこにいたのは倉橋君の姉?である佐緒里さんだ。正に私の恋敵?
「佐緒里、例のものは?」
「ここにあるわよ。とろで昨夜は何処に行っていたの? 私にこんな物調べさせといて家を出たまま遅くまで帰ってこないし、朝起きたらもういないし、家に帰ってきたの?」
「ああ、ちょっとな」
 倉橋君の気のない返事に佐緒里さおりさんはまだ何か言いたそうだったけど、何も言わず手に持っていたクリアファイルを差し出した。倉橋君はそれを受け取ると中身を取出し、ネットからプリントアウトされた数枚の用紙を手にしてそれをしばらく流し読みすると、私の方に向かって、
「倉橋、悪いけど佐緒里と一緒に人恋坂に行ってくれないか。俺は少し寄り道して合流するから」
 えっ、佐緒里さんと二人で! ちなみに今回はデートと言うわけではないのね。まあ期待はしていなかったけど。でも佐緒里さんと二人でなんて、何を話せばいいんだろう。
 そんなことを考えているうちに倉橋君の姿は既に小さくなっていた。その後ろ姿を見ていると、
「志緒理さん!」
 私は振り返る。
「取り敢えず行きましょう!」
 そう言うと佐緒里さんも歩き始めた。私も後を追う。
「ねえ、志緒理さんって巧巳のこと好きでしょう?」
 突然の事に返答に困ってしまった。何だか意味深な質問。
「見ていると何となく分かるわよ。巧巳の方ばかり見ているし・・・。私もね、巧巳のこと好きよ!」
「えっ!」
 横を歩く佐緒里さんの横顔を見入ってしまう。
「私達従姉弟同士だからハッピーエンドの未来は無いかもしれないけど。・・・でもねもう10年以上も一緒にいるのに姉弟という感覚になれないのよね」
 なっ、何という爆弾発言!
「だからね、志緒理さんが少し羨ましいの」
 志緒理達がそんな話をしていた頃巧巳は神社に来ていた。佐緒里の調べた資料を神主である三宅に見せながら、
「どう思います?」
「多分この女性だろうね。悪い物では無いとは思うが少し厄介だね」
 資料に目を通しながら三宅は唸っている。その資料には十五年前の事故のことが書かれていた。
 およそ十五年前、この人恋坂で一つの事故が起こった。一人の女性が車で崖から転落し死亡するという事故だ。その女性は一ヶ月後に結婚式を控えていた。その日は仕事を終え彼のもとに行く途中の出来事で、人恋坂の頂上付近を走行中ハンドル操作を誤り崖から転落してしまったようだ。救急隊が来たときには既に虫の息だったようだが、彼の名前と、彼に会いたいという言葉を小さな声で発し続けていたという。
「でも何故この女性が倉橋に?」
「多分、あの子が巧巳君を思う気持ちと波長が合ったんだろうね。彼女の身体に憑いて恋人の所に行こうと思ったのではないかな。まだ未練が断ち切れていないのかもしれない」
「どうすればいいですか?」
 三宅は腕を組みしばらく考え込んでいた。
「その時の婚約者だった彼に会わせてやるのが一番かもしれないね。今、彼女が志緒理君の中にいるのなら、志緒理君を彼に会わせれば未練を断ち切ることが出来るかもしれない」
 三宅は手に持った資料を見ながら、
「この片岡圭一という人は今どこにいるんだろうね」
「志緒理さんは巧巳の何処が好きなの?」
「どこって言われても・・・」
 私は人恋坂の頂上で佐緒里さんとぎこちない会話をしていた。ここについてすでに十五分が経っている。早く倉橋君こないかな。
「それにしても、巧巳遅いわね!」
 ぎこちない雰囲気に佐緒里さんも少し戸惑っているのか強い口調で言った。私はまたしてもどう答えてよいか分からない。視線を佐緒里さんに向けることが出来ず坂下の方を見ると、
「あっ、来た!」
 坂の麓の方に小さく見える倉橋君の姿を見つけた。倉橋君はゆっくりと坂を上がって来ていたが、その姿を見るだけで今までの緊張感が緩和されてくる。ものの数分で私達のいる場所までたどり着いた。
「遅い!どこに寄り道してきたの?」
 相変わらず強い口調だ。でも倉橋君は慣れているのか動じることなくゆっくりと私達に近づいてきた。
(えっ!)
 倉橋君が私の前まで来た時、今まで明るかった空が急に淀んできて、辺りが暗く鬱そうとしてきた。みるみるうちに暗くなってくる。どう考えても午前十一時の明るさではなかった。
「来たか!」
 倉橋君はそう言って、墓地の反対に当たる崖の方を見た。私も佐緒里さんもつられるようにそちらに向く。
「!」
「!」
 その崖のふちに白いワンピースに紺のカーディガンを羽織った清楚な感じの女性が立っていた。その女性は私の方をじっと見ているように感じる。
 私はその女性に見覚えがあった。先日私の手首を掴んで何かを訴えようとしたり、昨夜腹部から覗き込むように顔を出していたあの女性だ。足がガクガクと震えてきた。自力で立つこともままならない程の恐怖が私を襲い、その場に座り込みそうになった時、隣にいた倉橋君が私の両肩を左側から抱えるように支えてくれた。震えが徐々に収まってきて、心地よい安心感が私を包み込んだ。
「あなた、野瀬弘美さんですね」
 倉橋君が目の前にいる白いワンピースの女性に呼びかけると、その女性の視線が倉橋君の方に向く。
「巧巳、彼女何なの?」
 今まで黙っていた佐緒里さんが、今までに聞いたことのないうわずった声で、倉橋君の左腕にしがみつきながら言った。その姿に私は少し嫉妬を感じてしまった。でも私の方が倉橋君と密着してるもんね。て、こんな時に何考えているんだろう。今はそうゆう状況ではないでしょ!でも何故私と佐緒里さんにも白いワンピースの女性が見えるんだろう?
「野中さん、あなたはもうこの世に存在していないんですよ。あなたの無念さは察しますがこの子には何の関係もないはずです」
 倉橋君の手に力がこもったことで、私は現実に引き戻された。
「かつてのあなたの恋人片岡圭一さんという方はまだ結婚していません。よほど貴女のことを愛していたのでしょう。彼も苦しんできたんです。彼の貴女に対する呪縛を貴女自身で解いてあげたらどうですか?」
 ワンピースの女性に変化がでてきた。
『私は圭一さんに会いたい、ただそれだけ』
 無表情だが目だけは何かを訴えようとしている。その顔を見ていた時、ふと脳裏に浮かぶものがあった。 片岡圭一! どこかで聞いたことがあるような、どこだろう? 私はここ数日間の出来事を思い出しながら考えた。
「!」
 そうだあの新聞記事。私もしかしたらその片岡圭一さんて人見つけることが出来るかもしれない。
 そんな思考の中で僅かに見えていたワンピースの女性、野瀬さんの姿が少しずつ薄くなっていくのが見えた。そして周りの景色がいつもの風景に変わると、私は気が抜けたように全身が脱力してきた。隣にいる佐緒里さんも同じ感覚に見舞われているようだった。


第四章 「続発」  完