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第一章 「出会い」




 今私は華の高校生。入学してから約三ヶ月経って漸く学校生活にも慣れてきた。中学時代からの友達が四、五人いるから今はその友達と一緒にいることが多い。
 あっ!自己紹介忘れてた。私の名前は倉橋志緒理、先も言ったけど華の高校生十六才。受験を頑張って地方の片田舎だけどこの地域では有名な進学校に入学した。将来の夢は・・・まだ決まっていない。勉強について行けているかどうかは別にして、結構楽しい学校生活を送っている。有名な進学校だけあって、それほど問題のある生徒はいないし、先生達も大学進学一辺倒の考え方ではなく、色々な意味で視野を広く持ってくれている。そして何よりも充実した学校生活を送っている理由。・・・それは気になる男の子がいること。
 思春期の乙女にとって恋愛は、生きていく上で絶対不可欠なもの、まさに血液と同じなのだ。
 その男の子の名前は倉橋巧巳。名字は同じだけど全く赤の他人。無口で無愛想なんだけど時折見せる優しい瞳。何も見ていないようで周りをよく把握していてさり気なく手を差し伸べみんなを助けてくれる。女の子の間ではそれなりに人気があるみたい。
 私が彼を意識し始めたのは、それこそ入学して直ぐ。入学式が終わり、割り当てられた教室に移動していたとき。彼も同じクラスで私の後ろを歩いていたの。周りでは、近くにいる人と話をして少しでも早く馴染もうと努力している人が多い中、彼だけは無表情で他人のことは我関せず的なオーラで歩いていた。第一印象は、何か暗そうな人ってイメージ。その彼が突然私の横に並び、視線も合わさず、
「スカートの横のファスナー開いてるよ」
 そう言いながら抜き去っていった。
「えっ!」
 私はスカートを確認。な、なんとスカートのサイドファスナーが全開、辛うじて下着は見えていなかったけどブラウスの裾がチラチラ・・・何たる醜態。
 少し慌てたけど何事もなかったかのようにさり気なくファスナーを閉めた。入学式の間中開いていたと思うともう赤面。穴があったら蟻の巣の中でも入りたい。
 気付いていた人もいるはずなのに、もっと速く教えて欲しかった。それでもさり気なく声を掛けてくれた倉橋君に感謝。(自分の名字を他の人に当てて言うのは少し違和感を感じるのは私だけ?)
 そんな些細(ささい)なことだけど、それから何かと倉橋君を目で追いようになり少しずつ意識し始めた。まあ名字が同じなので周りから、
「親戚か何か?」
 と、聞かれることが多かったのも一つの理由かな。倉橋という名字はこの地域では珍しいものらしい。だからと言って彼のことがまだ気になっているだけで好きって言う訳じゃない。(今のところはね。実際彼のことよく知らないし)
 という感じでそれなりに楽しく過ごしてる。
 そうそう話は変わるけど、最近この町に変な噂が流れてるの。私の知っている範囲で説明すると、この学校から三キロ程離れたところに通称人恋坂っていうところがあって、世間で言う心臓破りと言われそうな程急な坂で自転車だと普通の一般人は到底乗って上ることは出来ないと思う。(あくまで普通の一般人ね。普通じゃない一般人もタマにいるから)
 人恋坂って言う名前の由来についても色々あって、この坂で亡くなった男性の彼女が同じ場所で後追い自殺をしたからと言うものや、この坂をカップルで歩くと相思相愛になるとか、かなり適当で曖昧な由来は聞いたことがあるけど本当のところはどうなんだろう?名前を付けるに当たって何らかの経緯があるとは思うのだけれど・・・。
 その人恋坂は急な坂道ということもあって昔から事故も多く、もう何人も天使になっている人がいるみたい。
 昔から何かと曰くのある場所だけど数年前から夏になると思い出したように湧き出てくる話。そう『嗤う鬼火』って言うんだけど、坂を登り切ったところに小さな墓地があって、それは何百年も前からそこにあるんだって。
 町の人も誰のお墓なのか知らないみたい。と言うより知っていても話したくないような雰囲気。私のお父さんとお母さんは本当に知らないみたい。まあこの町に越してきたのが二十年ほど前で、割と新しい市民だから知らないのは当たり前かもしれない。
 で、噂って言うのがその墓地に人魂が出るらしいの、人によっては鬼火とも言うけど。鬼火と人魂の違いはよく分からないけど、その鬼火(ここでは鬼火って言うね。一応『嗤う鬼火』っていう題だから。)を見たという人の何人かは、それから嗤い声が聞こえて、その嗤い声がだんだん近づいてくるんだって。想像しただけで背筋に冷たいものが流れてきそう。
 この話には続きがあって、その『嗤う鬼火』を見て、人恋坂を町向こうに下った人は何らかの事故に遭遇するらしいの。
 だから町の人は暗くなると人恋坂は絶対に通らないようにしている。少し脇に新道が出来ているから今更通る必要性も無くなっているけどね。その事も災いしてか人通りの少なくなった人恋坂は、どこからか噂を聞きつけた物好きが他所から来て度々事故を起こしているから、元の話に尾鰭が付いて全国的にも有名な心霊スポットになってる。

 なぜこんな話をしてるのかって!そうそうこれからが本題。私のクラスに中馬賢一っていう男の子がいるんだけど、その子が『嗤う鬼火』を見に行かないかって言いだしたの、名前は賢一だけど、どう考えても賢くない意見。
 それでもクラスの四人で今週の土曜日の夜にそこへ行くことに、なぜか私も参加、私も決して賢くない部類かも?
 私の参加する理由は二つ、一つは、私の友達が中馬君と仲が良くて意気投合して行くことに賛成したこと、もう一つは、あの倉橋君も参加するということ。何とあの倉橋君と中馬君が古くからの友人らしい。どう考えても接点がなく、学校でもそれ程親しく話している風でもない。倉橋君に少なからず興味を抱いている私が誘いを断る理由がなかった。
 ともあれ今週の土曜日の午後九時に学校に集合してそこからみんなで行くことに。学校から人恋坂の梺まで自転車で三十分位、そこから先は自転車では無理なので(坂が急すぎて)歩きになる。目的の頂上に着くのは何時になるのやら。



 夜の人恋坂は人気もなく寂しい雰囲気が漂っている。今午後十一時、私達四人は恐る恐るゆっくりとした歩みで坂の頂上に向かって歩いていた。先頭を歩いているのは中馬君、その後ろに近藤美歩ちゃん、そして私、最後に倉橋君が少し間を開け、相変わらずの無表情で付いてきている。この状況の場合最前列か最後列が一番怖い。最近の草食系男子が多い中、彼等はちゃんと男としての気遣いを分かっている貴重な肉食系男子なのかもしれない。
 先頭の中馬君が歩く速度をゆるめた。この暗闇の中、懐中電灯一つで動いていると、前の人の行動一つ一つに敏感に反応してしまう。しばらくゆっくりとしたペースで歩いていたけど、頂上にある唯一の街灯の元に着くと少しばかり緊張感が和らいだ。小さい明かりながらも四人の姿を一度に確認できると気持ちも落ち着く。
「しかし暗くて気持ち悪い場所だな!」
 静寂の中、中馬君がトーンを落とした声で言った。街灯の明かりが返って周りの闇を増幅しているようにも感じられた。
「あそこにある墓地が例の場所で、この道沿いからでも鬼火は見えるってことだけど、出てくるかな?・・・もう少し先に行ってみようか?」
 私達の了解も得ないまま中馬君は再び歩き始めた。仕方なく私達も後に続く、こんなところに置いてけぼりにされてはかなわない。後ろの倉橋君は居るのか居ないのか分からないくらい静かで、違う意味で怖いような気がする。私は背中に何となく悪寒を感じ、ゆっくりと振り返った。そこには顔を横に向け何かに焦点を合わせるように集中している倉橋君の姿が。
 その精悍な顔つきに思わず見とれてしまった。やばい!やばい!今はそんな状況じゃなかった。私は我に返ると彼の見つめている方向に視線を向ける。
「?!」
 腰が抜けるかと思った。
「あ・・・あ・・・あ・・・」
 声にならない。私の異変に気付いたのか中馬君と美歩が私の方を向き、今度は二人が私の視線の先を見て私と同じように硬直した。
「あっ!」
「えっ!」
 各々よく似た反応をし、ギリシャ神話の見ただけで石に変えてしまうと言う魔神メデューサを見てしまったような感覚とでも言うのか、同じような姿勢で同じような顔をして微動だにしない。
 私達四人の視線の先にはゆらゆらと青白く発光した浮遊物があった。
 誰かが不意に私の肩を叩いた。私はそれに反応するように振り向こうとしたが、ん!思いとどまる。確か私達は縦一列で歩いていた。今見えている現象はほぼ真横で起こっているので今は横一線になっているはず。・・・・・ということは・・・・・。
 まず左右を確かめてみる。右に美歩、その向こうに中馬君。左には倉橋君が確かにいる。背後に誰かがいるということは絶対にありえない。・・・・・全身に鳥肌が立ってきた。今までに感じたことのない凹凸の凸の部分が身体全体にざわざわと覆っていくのが感じられる。
 私は恐怖のあまり左横にいた倉橋君の腕を強く掴んだ。その行為に倉橋君が私の方に向く。相変わらずの無表情で、何を考えているのか分からない雰囲気はそのままだが、今の私には倉橋君がこっちを向いてくれているという事と誰かに触れているというだけですごく心強く感じられた。
 でも何となく背後に何かいるような気配を感じる。一度そう思ってしまうと後ろが気になってしまい落ち着かない。私は恐怖の中、それに打ち勝つように自分自身に気合いを入れゆっくりと振り返った。しかしそこには何もない。漆黒の闇と、静寂のみが存在するだけだった。
 気のせい!?
 大きく安堵の息をつき向き直る。そのとき倉橋君と目が合ってしまった。傍から見れば情緒不安定ともとれる行動を倉橋君に見られたと思うと、全身の血液が頭に集結してきたかのようにポーッとして顔が赤くなっていくのが自分でも解った。
 でも倉橋君は何も言わず顔を正面に向ける。相変わらず無愛想。私も同じように前に向き直った。
「あっ!」
 目の前の鬼火が二つに増えている。中馬君も美歩も食い入るようにそれを見ていて、先程とポーズすら変わっていない。本当に石になってしまったのだろうか?
私は待たしても背後から悪寒を感じもう一度振り返る。当たり前だが誰もいないし何もない。
 不意に倉橋君が動いた。私はまだ彼の腕を掴んでいたのでその動きに敏感に反応し手を離す。倉橋君は微妙な距離で私の後ろに立った。後ろから倉橋君の息遣いと放射体温が感じられる。今の私の行動から背後を気にしていると感じたのかさり気なくしてくれるその優しい心遣いに感激!本当に好きになってしまいそうだ。
 倉橋君が後ろにいると思うだけで、私の恐怖はあっという間に守られているという安らぎに変わっていった。
「キャーッ」
 突然の悲鳴!発したのは私の隣にいる美歩だった。美歩の方に向こうとしたとき、私もその悲鳴の原因を見てしまった。正面に見える一つの墓石の前にこちらを向いて立っている一人の女性の姿が。今までこの場所には私達四人の他には誰もいなかったはず。
 その女性は何かを羨むような悲しい目をして立っていた。実体がはっきりしていなくて、何となく向こう側の墓石が透けて見える。
(も、もしかして幽霊!?)
 その女性はしばらくその場に佇んでいたが、少し俯き加減になるとその実体も少しずつ薄くなっていき、完全にその場から消失した。
「み、見た?」
 美歩がそう言うか言わないかのうちに、ゆっくりと後退していき、私達は逃げるようにその場から離れ、学校まで一目散に走った。逃げるのに精一杯で周りのことを気にする余裕など無かったが、学校の正門まで来ると、
「あれっ、倉橋君は?」
 少し落ち着きを取りもでした私は、倉橋君が居ないことに気付き肩で息をしながら二人に問いかけた。二人も周りを見渡して、
「本当だ!どこ行ったんだろう?」
 美歩が少し心配そうに言ったが、中馬君は慌てる風もなく、
「まあ、あいつのことだから大丈夫だろ」
どこがどう大丈夫なのか解らなかったが、私もまだ頭が少々パニックになっていたのでそれ以上のことを考えることが出来なかった。
 その時中馬君の携帯が鳴った。
「おっ!噂の巧己からだ。もしもし・・・・・ああ・・・・・それで・・・・・で、今どこにいるんだ・・・・・分った伝えとく。それじゃあ俺たちは先に帰るからな・・・・・了解」
 話の内容はさっぱり解らなかったが倉橋君に何事もなさそうなことは判った。中馬君は電話を切ると私に向かって、
「巧己のやつまだ人恋坂にいるらしんだけど。倉橋に伝言だとよ」
「えっ!まだあそこにいるの!」
 これは美歩の言葉。あの倉橋君が私に伝言って・・・!少し嬉しいような、でも何となく不吉な予感もする。
「伝言って何?」
 多少の不安を抱えたまま聞いた。
「逃げているとき青白い球体が倉橋の方に向かっていってぶつかった様に見えたから大丈夫かって」
 不安的中。でも私はそんな衝撃を感じた記憶は無いけど・・・。
「何ともないけど」
「それと・・・」
 まだ何かあるのだろうか。少し言いにくそうな雰囲気に嫌な不安がまた少し膨らんだ。
「今日寝るときに十分注意して、出来れば一人で寝ない方がいいって」
 中馬君から伝えられた伝言に不安と書かれた風船が極限まで膨れあがり破裂直前にまで膨張している。しかしその膨れあがった不安をどうすることも出来ないままボーッとしていると、
「まあ、余り気にしない方がいいと思うぜ。あいつ昔から意味深な言い方をするところがあるから」
 あの中馬君が気を遣ってくれている。
「明日は日曜だし私、志緒ちゃんの家に泊まろうか?」
 美歩も気に掛けてくれている。ひょっとして私、友達に恵まれてる?こんな状況だけに涙が出そうになる。
 結局美歩ちゃんが私の家に泊まってくれることになった。その夜に何も起こらないに超したことはないが何だかよからぬ事が起こりそうな気配・・・・・嫌だな。



 家に帰っても倉橋君からの伝言が頭から離れない。
(青白い球体が私にぶつかった?)
 それだけでも嫌な感じがするのに、一人にならない方がいいなんて不吉そのものの言葉。考えただけで躰がぶるっと震えてしまう。決して武者震いなんかではないのは確か。
 美歩が泊まってくれるというので、多少は気分がまぎれているが、何かの拍子にふと思い出すと、やっぱりぶるっ!
 そんなことを考えながらも私は六畳程の部屋に我が物顔に置かれているシングルベットと申し訳なさそうに佇む小さな机の間に所狭しと無理矢理二組の布団を敷いていた。黙々と作業をしている私の横で、美歩が机の上にあるノートパソコンでインターネットを閲覧している。
「あった!」
 その言葉に私は何かに釣られるように美歩の方に向いた。
「嗤う鬼火ってネットにも載ってるよ。有名なんだ!」
 一通り布団を敷き終えると、美歩の隣に行きディスプレイを覗き込む。
<君は流行り神を見たか!?>
 という見出しで、全国の都市伝説を紹介しているサイトのようだ。
「ねえ、どんな内容のことを書いてるの?」
「ちょっと待ってね」
 美歩はそこに書かれている文章を初め声を出して読んでいたが、途中から黙読し始めた。美歩の読んでいる文章の横に、私もよく知っている人恋坂とあの墓地の写真が掲載されている。
「私達が知ってる内容とそれ程変わらないみたい。でもこれには嗤い声が聞こえるって書いてあるけど、女の人の幽霊が出るなんて書いてないよ」
「私達、嗤い声なんか聞いてないよね」
「そうだね。私がお墓の方に目を向けたときには、あの女の人はもうそこにいたような気がするけど・・・」
 そう言い終わった後に、美歩は躰を小さく震わせた。その時の事を思い出したのだろう。あの暗闇の中、あの場所で、あのシュチエーションは本当に怖い。と言うより怖かった。
「もうこの話止めようよ」
 私は話題を変えようと、
「ところで。美歩と中馬君付き合ってるの?」
 ストレートな質問。
「えっ・・・うん・・・まあ・・・」
歯切れが悪い。やっぱりそうなんだ。何となく良い関係に見えたもんね。
「そんなことより、志緒ちゃんは倉橋君のことどうなの?」
 今度は私がうろたえる番?
「どうなのって言われても・・・」
 その時美歩の携帯が鳴った。良かった。助かった!
 美歩は携帯を取り、私に背を向けて話している。僅かに聞こえる話の内容から、相手は中馬君のようだ。話を終えた美歩は携帯を閉じながら私の方に向き直った。
「中馬君から?」
 私は冷やかし混じりに聞くと、
「そうだけど・・・」
美歩は少し恥ずかしそうな表情をしていた。
「明日、アルテイシアに集まらないかって」
「アルテイシアって学校の近くにあるあのアンティークな雰囲気の喫茶店?」
「そう。あそこに十時に集合しないかって。ていうより強制集合みたいだったけど・・・。倉橋君も来るって」
 少し意地の悪そうな顔。私は時計を見た。すでに午前三時。やばい起きられるだろうか?私も一応女の子だから、お化粧とか準備とか色々と時間が掛かる。せめて八時には起きないと。
「そろそろ寝ようか」



布団に入って一時間。午前四時。私は中々寝付けなかった。横では美歩がすやすやと寝息を立てている。何度も寝返りを打ち、何とか眠れそうな感じになったとき、私の中で何かが脈打った。
(何!)
 動悸が速くなり息苦しさを感じる。手を胸の上に上げようと思ったが、その手が全く動こうとしない。
(金縛り!私どうしたの?)
 そうしているうちに急に下腹部が熱くなってきた。でも躰が自分の意志で動かない今の状態ではどうすることも出来ない。
(どうすればいい?美歩!美歩!)
 私は声にならない叫びを横で眠っている美歩に投げかけたが、美歩は何事もないように静かに眠っている。
頭がパニックになりかけたとき、下腹部の熱が少しずつ下がっていくのを感じた。それと同時に、下腹部辺りから青白い球体がふわりと浮き上がってきた。しばらく私の胸辺りでゆらゆらと漂っていたが、その球体が徐々に女性の形に変わっていった。見たことのある女性。そう人恋坂で見た悲しそうな顔をしていたあの女性だ。私は恐怖の余り目を瞑ろうとしたがそれさえままならない。私は一体どうなってしまうの?
 その女性は少しずつ近づき、私の腕を掴むと何かを呟くように唇を動かした。私には読心術の心得がないから何を言っているのか全く解らない。それどころではない状態なのだ。
 私は気を失ったのか、眠ったのか判らないがそれから後の記憶はなかった。



 私は寝覚めの悪い状態で躰を起こした。
(嫌な夢見たなあ。倉橋君があんなこと言うからこんな変な夢を見てしまうんだ。本当にもう)
 横では美歩が気持ちよさそうにまだ眠っている。何気なく時計を見ると、午前八時を少し回っていた。
「あっ!もうこんな時間。美歩、起きて!」
 まだ布団に入っている美歩を揺さぶるようにして起こす。眠そうに目を擦りながら美歩は躰を起こし、
「おはよう」
「おはよう。早く準備しないと約束の時間に遅れるよ」
 そう言いながらも二人はしばらく布団の上でボーッとしていたが、どちらからともなく立ち上がり、布団をたたんでベッドの上に重ねると、洗面し、服を着替えて外出のための戦闘準備に入った。女子たるものこれに時間を掛けなくてどうする!なんて言ったって今日はあの倉橋君に会うのだから念入りにしなくては。でも男の子って割と化粧の匂いを嫌う人もいるから余り念入りにしても・・・。倉橋君はどうなんだろう?
 そんなことを考えながらも着々と変身は進んでいった。
「ねえ、その腕どうしたの?」
 横で別人に化けつつある美歩が私の左手首辺りを見ていった。
「腕?」
 その場所を見て、
「!?」
 左手首の内側に五つの斑紋のような痣があった。何だろう?私には身に覚えがな・・・いやあった。
「美歩右手で私の手首掴んでみて!」
 美歩は怪訝そうにしながらも言われた通りに右手で私の左手首を掴んだ。
(やっぱり!)
 美歩の指先と、痣の位置が見事なまでに一致した。
(昨夜のあれは夢じゃない!?)
 あの時の出来事が、ゆっくりとだがはっきりとした画像として甦った。しかし今は昨夜程の恐怖が訪れない。冷静に考えてみるとあの女性の悲しい瞳が何かを訴えているようで、それでもって何かを呟いていた事を思い出し、怖さより好奇心の方が強かったからだろう。
(なんて言ったんだろう?)
「どうしたの?」
 余りにボーッと考え事をしていた私に、美歩が心配そうに顔を覗きながら言った。私は我に返り、
「うん、大丈夫。ちょっと昨夜変な夢を見たから、それとこの痣が関係あるのかなって思って。でも関係ないみたい。そんなB級映画みたいなことが起こるわけないし」
 そう言ってはみたものの、関係があるのは間違いない。どうしよう?みんなで集まったときに相談してみようか?
「よし、準備完了!」
 美歩が小さくガッツポーズを取るように言った。そんなに気合いが入ってたの!それにしても見事なまでの変貌ぶり、世の男はこれに騙されるのか!そんなことに感心してる場合じゃない私も早く変身しなくては・・・変身!トオー。



第一章「出会い」  完