「真夜中の電話にはご注意を!」 登場人物
洋平は部屋に入ると、玄関脇にある照明スイッチを入れた。「パチッ」という音と共に乳白色の明かりが一瞬にして闇を光に変える。正面に見える掛け時計が午後九時を示していた。 「ふうっ」 大きな溜息を吐くと、肩から鞄を下ろし机の上に置く。 洋平の部屋は一般的なワンルームで六畳程度の部屋と、小さな台所、そしてワンルームには珍しく風呂とトイレが分かれている。几帳面な性格なのか部屋は綺麗に片付いていた。 冷蔵庫を開けペットボトルのお茶を取り出すと、グラスに注ぎ一気に飲み干す。 『ピリリリッ・・・。ピリリリッ・・・』 ポケットの中の携帯電話が今の若者には珍しくベル音を鳴らした。洋平はグラスをテーブルに置くと、気だるそうに電話を取り出し、ディスプレイを確認する。 《 土井秀樹 》 今頃何かなと思いながら、 「もしもし」 『もしもし。洋平!今から出でられる?』 相手の都合も状況も御構い無しに切り出した。 「相変わらず、いきなりだな」 疲れきった様な声で答える。 『どうしたんだ?何か疲れた様な声をしてるぞ』 「声の通り疲れてるんだよ。今日のバイト精神的にハードだったんだ」 『バイトって家庭教師だろ、何でそんなに疲れるんだ?』 「受験シーズンだからな、親も大変なんだよ。色々と相談されてさ。そういうのって精神的に結構きついんだ」 洋平は再び「ふうっ」と大きな溜息をついた。 『でも由美加ちゃん、すごく頭の良い子だって言ってなかったっけ?全国模試でも上位にいるって言っていた様な気がするけど』 「だから余計大変なんだよ、失敗が許されないからな」 『確かに』 秀樹も納得したようだ。 洋平が教えている生徒は中野由美加と言い、後一ヶ月程で受験を控えている中学三年生だ。かなり優秀な子で全国でも百番以内には入っているだろう。周囲からの期待も高く、本校創立きっての才女と教師達も口々に言っている。だからこそ失敗が許されないのだ。(そんな優秀な子を教える洋平は、優秀なのか・・・?多少の疑問は残るがそこは於いといて。)受験生本人のプレッシャーは勿論。両親のプレッシャーも相当なものだろう。ノイローゼに成らなければ良いのだが、ここ最近、由美加の様子がおかしいのだ。その事もあって今日は両親と時間をかけて話しをしていたのである。メンタル的な部分も家庭教師の仕事と言う訳だ。 洋平は差し支えない程度の内容を説明した。 『そうか。大変だな!じゃあ余計に気分転換をしに出てこないか?』 少し間を空けて、 『今日サークルの打ち上げがあって、今千葉と白河が一緒で、三人で二次会に行こうと思うんだけど、中山さんも誘ったんで、男一人に女三人というのはどうも居心地悪いから・・・。頼むよ」』 電話の向こうで哀願する秀樹の姿が見えるようで、洋平は苦笑しながら。 「でももう九時過ぎてるんだぞ」 『カラオケに行くから全然大丈夫な時間だよ』 「場所は?」 洋平は仕方なさそうに質すと、 『来てくれるのか!有難い。いつのもカラオケ屋だけど、何時頃来られる?』 「そうだなぁ」 チラッと掛時計に目を移し、 「十時前には着くように行けると思う」 『分かった。じゃあその頃に来るって皆には言っとく・・・。よろしく!』 秀樹は洋平からの返答を待つ前にそそくさと電話を切った。 洋平は携帯電話を閉じると、後ポケットから財布を取り出し中を確認した。中には千円札が三枚と小銭が少々しか入っていない。 「あちゃ」 しかめっ面をしながら再び携帯電話を手に取った。着信履歴を表示させて、リダイアルさせようと思ったが、一番上の履歴には、先程かかってきた秀樹からの履歴ではなく、何故か白河緑の名前があった。 「?」 一体何が起こったのか解らなかった。 白河緑の事は知っている。彼女は学年が一つ下だが、秀樹と同じ『歴史研究会』という小難しいサークルに所属しているので、何度か話をしたことがある。長髪の可愛いというより綺麗な感じの女性だ。性格もおとなしそうに見える。 それ程親しいわけではないし、まして携帯番号など知りはしない。登録していない名前がなぜ表示されるのかが不可思議である。確か着信の時は土井秀樹と表示されていたはずだ。 洋平は首を傾げながら、もう一度目を凝らして確認してみた。間違いなく白河緑と書いてある。その名前の下には、見たこともない番号が並んでいた。 再び首を傾げながら、電話帳から秀樹の名前を検索し電話をかけた。二・三度コール音が聞こえると、 『もしもし』 「洋平だけど、今日お金の持ち合わせがないんだけど、どうしようか?」 『はっ?何言ってんの?』 間の抜けた返事が返ってきた。 「さっき言ってたカラオケだけど、今手持ちがないからどうしようかと思ってさ」 『カラオケ?何の話だ?』 とぼけているのか、本気なのか。 「ちょっと前に電話で、サークルの飲み会があってその二次会で、麻美や千葉、白河さん等と一緒にカラオケ行くから出て来いって・・・」 『俺お前に電話なんかしてないぞ。それに飲み会なんかしてないし。』 「・・・」 『お前寝惚けてるのか?俺七時からずっと『どっこいモノマネ大賞』を視てたんだぞ。』 そう言えば今日学校でそんな話をした。今日はモノマネのテレビがあるから早く帰らないと初めから視られないという様な事を言っていた様な気がする。 「そう言えばそんな事言ってたな・・・」 間の悪い時間が数秒。 「ところでお前白河さんの連絡先知ってる?」 洋平はバツが悪くなったのか話題を変えた。 『同じサークルだから知ってるさ。・・・あっ。お前も白河狙ってるのか?競争率高いと思うけどな。結構可愛いから人気があるぞ』 「いやそう言う訳じゃあないんだけど、ちょっと気になることがあってさ」 『気になる事って?』 洋平は先程秀樹(と思われる?)からかかってきた電話の内容と、その後なぜか知らないはずの白河緑の着信履歴が残っていたという話をした。 何かの勘違いだろうという様な事を秀樹は言っていたが、その後白河緑の連絡先を聞き、先程掛ってきた電話番号と照らし合わせてみると番号は完全に一致していて間違いなく白河緑の電話番号だとわかった。 『何だかよく分からないけど、俺は電話なんかしてないぞ」』 秀樹は念を押すように言うと、テレビの続きを視るからと言って電話を切った。 洋平は再度着信履歴を確認してみる。やはり何度見てもそこには白河緑の名前と今秀樹から聞いた番号が表示されていた。その番号にかけてみようかという衝動に駆られたが、白河緑に繋がったところで何を話していいかわからない。それ程親しくはないのだ、突然の電話を不審に思うかもしれない。気にはなるのだが結局諦めてテレビを点けた。 『どっこいモノマネ大賞』をやっていて、既にクライマックスで大御所同士の最終対決をしている。流石に人気があるだけあってそれなりに面白く、先程起こった奇妙な出来事が脳裏から消え去る程、腹を抱えて笑った。 番組が終わり、風呂にでも入ろうかと立ち上がった時、 『ピリリリッ・・・。ピリリリッ・・・』 テーブルの上に置いてあった携帯電話が鳴った。洋平は電話を手に取り、着信表示を確認する。 「!?」 そこにはまた白河緑の名前が表示されていた。 「はい。・・・神崎です」 恐る恐る取る、 『・・・・・・・・・・』 何の返事もない。 「もしもし。神崎ですけど。・・・白河さん?」 『・・・・・・・・・・』 「もしも・・・」 再び問いかけようとした時、受話器からキーンという甲高い音が鳴り響いたかと思いと。老婆のようなしわがれたこ声で、 『どうして来てくれない・・・・・。どうして来てくれない・・・・・の。ずっと待ってるのに・・・・・・・・た・す・け・て』 再びキーンという甲高い音がすると、 『プーッ。プーッ。プーッ』 不意に電話が切れた。 (なっ、何だ?) 洋平の背筋に冷たいものが走る。狭い部屋に一人というこの状況に、恐怖を感じた洋平は取り合えず人との接触を求めうため秀樹にもう一度連絡を取ろうとしたその時、手の中の携帯電話が再び音を鳴らした。一瞬身体をビクッとさせディスプレイを見ると、中山麻美という名が表示されている。それでも洋平は慎重な声で電話を受けた。 「はい。神崎です」 『もしもし私・・・。どうしたの暗い声を出して』 麻美の声だ、麻美と洋平は俗に言う幼馴染に当たる。小さな頃からの腐れ縁だ。小、中、高、そして大学まで同じ学校に進学した。偶然なのか必然なのか? 「いや、何でもない、お前本当に麻美か?」 少し疑心暗鬼になっているようだ。 「何それ!」 麻美の呆れたような声。どうやら本物のようだ。少し気分も落ち着いたのか、声質も明るくなった。よく考えてみれば、洋平が落ち込んでいたり、困った事があった時には不思議と麻美から何らかの連絡が入り、他愛のない話で、気持ちが落ち着いてきて、落ち込んでいる自分を忘れていることが多い。 『洋ちゃん、白河さん知っているでしょ?』 洋平の脳裏に嫌な予感が過ぎった、今日は白河という名前に何かしら因縁があるらしい。 「知っているけど、白河さんがどうかしたのか?」 何事も無かったかの様に問い返す。 『今ね、美樹から連絡があったんだけど、白河さんが行方不明になっているらしくって、捜索届けが出されているらしいの。それでね、心当たりのありそうな人に連絡しているんだけど、洋ちゃんが・・・。』 少し間を空けて、 『知っているわけ無いか』 一人で話して結論を出してしまった。一人突っ込み一人惚けをしている。洋平は電話口で苦笑しながら。 「一体、何しに電話してきたんだよ。大体俺白河さんとあまり親しくないし、心当たりも何も無いことくらい判るだろう。俺と何年の腐れ縁だと思っているんだ」 『そうね。かれこれ二十年近くかな!』 全く動じていない。 『そうか・・・。疎い洋ちゃんじゃ、気付かないよね』 訳の解らない発言の後、“白河さんもかわいそうね。”というぼやきの様な声が聞こえた。 「はっ?」 全く理解出来ていない様だ、間の抜けた返事が帰ってきた。 『あのね。洋ちゃんは気が付いてないかもしれないけど、白河さん洋ちゃんの事が気に掛っているみたいなのよ。美樹に何かと相談していたみたい』 “全く疎いんだから。”と小声で言うと。 『それにしても神様も酷なことをするわね。よりによって美樹に相談するように仕向けるなんて』 「何で?」 再び間の抜けた返事。 『全く。やってられないわね。美樹も洋ちゃんの事意識しているのよ。あれだけ一緒にいて分からないの?』 「何が?」」 電話越しでは分からないだろうが、やれやれという溜息と共に、 『洋ちゃんモテていいわね』 少し棘のある言い方で言った。 「そんな事言ったって・・・」 どう答えて良いか迷っていたが、麻美が言った事と今自分に起こっている状況を照らし合わせてみると、先程脳裏を過ぎったいやな予感が次第に大きくなっていくのを感じた。 「ところでさあ。麻美の意見を聞きたいんだけど」 突然の話題転換に少しばかり戸惑ったようだが、 『何?改まって』 洋平は先程起こった出来事を説明した。麻美は話の骨を折ることなく最後まで黙って聞いていた。 『何それ!ちょっと気味が悪いわね』 「そうだろ。だから白河さんが行方不明になったと聞いて、何か嫌な感じがしてさ」 「でさ、取り敢えず最初の電話で言っていたいつもよく良くカラオケ店に言ってみようと思ったんだけど、流石に一人だと怖いから秀樹に一緒に行って貰おうかと携帯を持ったときに丁度麻美からの電話がはいったから・・・」 『びっくりして暗い慎重な声で受けたってことね』 後を麻美が続けた。この辺の遣り取りは流石二十年ものだ。息が合っている。 『それで本当に行くの?』 「あの辺りは街中だから、明かりも結構あるし人通りも多いから大丈夫だと思うけど。」 『私が一緒に行ってあげようか?』 「怖くないのか?」 『怖いような気もするけど、今の話を聞いてここに一人で居るのも怖い様な気がするから誰かと一緒に居た方が気が紛れて良いかなと思って』 麻美も洋平と同じく一人暮らしをしている。洋平のアパートとは目と鼻の先ほどの距離で、付き合いも長いため、ちょくちょく行き来している。 「そうだな。俺とお前なら一晩裸でいたって間違いは起こらないだろうし」 『失礼ね。私のこと女として認識してないでしょ。私だって出るところは出てるんだからね』 「お腹の事か?」 『馬鹿!もう一緒に行ってあげないから』 ぷーっと頬を膨らませている。電話越しで見えないが麻美のこういう仕草は結構可愛いのを洋平はよく知っている。 しかしいつの間にか洋平からお願いしたような表現になっていたが、(おいおい何かおかしくないか。)洋平も其の事に気付いた様だ、しかし今回は麻美を立てることにする。 「ごめん、ごめん。今からそっちに迎えに行くから」 洋平と麻美がそんな他愛のない話をしていた時、行き付けのカラオケ店では一騒動が起きていた。店の奥にある従業員用のロッカーの一つから多量の血痕が発見されたのだ。そのロッカーはそれなりに大きな物で、小柄な人なら立ったままで入ることが出来る程だ。 血痕が発見されたのは数あるロッカーの中で丁度真ん中にあたるロッカーで、今は誰も使用していない。 下の隙間から何か赤黒いものが染み出しているというので、中を開けてみると、多量の血痕があったという。その血痕はまだ凝固しておらず。それ程時間が経過した状態では無い様だった。警察に連絡しようか迷ったが、人の血かどうかも判らないし、誰かの悪戯かもしれない。取り敢えず従業員とアルバイトを集めて心当たりを確認することにした。お客もいるので半々に分かれて見聞することにする。 全ての人から話を聞き終わった時には、午後十時を回っていた。たいした情報も得られず、悪戯にしても余りにも性質が悪いので警察に連絡することにする。 正にその時洋平と麻美が店に訪れた。 「神崎君、中山さん」 店長は二人に気付くと、少し硬い表情で声を掛けてくれた。行きつけの店だけあって、二人とも名前を覚えられている。 洋平が不穏な空気を感じたのか、 「何かあったんですか?いつもと雰囲気が違うようですけど」 「いや。ちょっとね」 視線を逸らし包帯を巻いた左手首を擦りながら答える店長は。少し挙動不審にも見える。 「店長、緑さんと最近会いました?」 「いいや!会ってないけどどうかしたの?」 「緑さん、今行方が分からなくなっているらしくて捜索願が出されているんです」 「捜索願?」 「それで仲間内で探しているんですけど、彼女ここによく来ているみたいだから、ひょっとしたら何か知っていかなと思って」 店長は腕を組んで考えていたが、何も思いあたらないのかしきりに首を傾げている。その時洋平は店長の左手首の包帯に血がうっすらと滲んでいるのが見えた。 「その手どうしたんですか?」 店長は我に返ると、左手を隠すように抱え込み。 「ちょっとキッチンの角に引っかけたときに切れてね・・・」 深く追求せずに話題を変えようと思った時、奥のロッカーから染み出る血痕が目に入った。それを覗き込もうとカウンター越しに身体を乗り出そうとした時、」店長が洋平の肩を押し返した。 「何ですかあれ?」 「何でもないんだ、ちょっとした悪戯だよ」 肩を押し返す動作で目の前に店長の左手首の包帯が視界に大きく入ってきた。その包帯に焦点が合った時、そこから何か得体のしれない感覚が伝わってきた。 脳裏に何か突き刺さる様な感覚が走る。洋平は後頭部を押さえてその場にうずくまった。 「どうしたの?」 麻美が後から抱え込むように肩を支えた。 「頭が痛い・・・!」 尚も苦しそうに頭を抱える。 「洋ちゃん・・・。洋ちゃん・・・。大丈夫?」 洋平の突然の変調に麻美も冷静さを失っている。どうすることも出来ず洋平を後から抱き抱える様にしてじっとしていた。 何秒、いや何分経っただろう。先程まで苦しそうにしていた洋平が何事も無かったかの様にすっと立ち上がった。抱き抱えるようにしがみついていた麻美も釣られる様に立ち上がる。 「洋ちゃん大丈夫?」 心配そうな声で洋平の正面に回り、顔色を伺う。 「!!」 その瞬間麻美の動きが止まった。 「どうかしたのか?」 今までの苦痛が嘘の様にひき、逆に体全身から躍動感が漲っている。 「目が・・・」 麻美はその場から動くことが出来ず、ただ洋平の瞳をじっと見つめている。 「目がどうした?」 「目が・・・。瞳が・・・。青い・・・」 それだけ言うのが精一杯だった。洋平の瞳から目を逸らす事が出来ない。そう、なぜか洋平の瞳は全ての事を見透かしてしまうのではないかと思えるほど、澄んだ紺碧の瞳をしていた。雰囲気も少し変わっている様に見える。 洋平は麻美越しに一点を見つめている。麻美もそれに気付いたのか、振り返って洋平の視線を辿った。そこには事務所がある。 「洋ちゃんどうしたの?」 麻美が不安そうに聞くと、突如事務所の奥、先程から見つめている所に向かって歩き始めた。周りに居た者も紺碧の瞳に魂を吸い取られたかの様に身動きが出来ない様で、洋平が通り過ぎるのをただ見ているだけだった。 洋平は血痕の付着したロッカーの前まで来ると、その場にしゃがみこんで血糊を確認し、立ち上がると、そのロッカーに向かって何かぶつぶつと呟き始めた。誰かと会話している様にも見える。辺りは静まり返っていて物音一つたてる者はいない。洋平は大きく深呼吸すると、振り返り店長に視線を向けると、 「どうしてこんなことをしたんですか?」 店長はビクッとしたが、 「な、何のことだい」 「知らを切っても駄目ですよ」 紺碧の瞳で見据えられた店長は呼吸さえ止まっているように微動だにしなくなった。 「今、白河さんと話しをしました。あなたは白河さんに暴行を加えようとしましたね。未遂に終わったようですが。・・・その際あなたは白河さんの抵抗にあい、手首を切ってしまった。その時の血がこれですね」 残された血痕に視線を向ける。 「だから何を言ってるんだい。私は何も知らないよ。それにこれだけの出血があったら病院に搬送されているよ」 薄ら笑いを浮かべながら、冷静さを保とうとしている様子が手に取るようにわかる。 「この血液の大半は人間の物ではないですね!他の動物の血を混ぜて血液から身元が割れないようにしたつもりでしょうが、そんな事をしても今の科捜研の技術では僅かな成分からでも個人を断定できますからね」 店長の顔が僅かに引きつってきた。 「このカラオケ店の三階があなたの住まいですよね」 洋平はそう言うと、階段に向かって歩き始めた。麻美が後を着ける様に追いかける。周りの者も自分の意思とは無関係に足が勝手に動き、蟻の行列の様に洋平の後を追った。 三階の店長の部屋の前に来ると。 「麻美、白河さんの携帯番号知ってるだろ。ちょっとかけてみてくれ」 麻美は“どうして?”と説明を求めることも出来ず、ポーチから携帯を取り出して白河緑の番号をコールした。部屋の中から小さなメロディ音が聞こえる。しかしそれを取る者はいなかった。 麻美は耳から電話を離すと首を振った。 「大丈夫だ。白河さんは生きているから」 そう言うと店長に向かって手の平を差し出した。店長が催眠術にでも掛かっているかの様に何の抵抗もなく部屋の鍵を差し出す。 洋平は鍵を受け取ると、鍵穴に差込開錠した。ゆっくりとドアを開ける。中は薄暗く何も見えないが、奥の方から微かに人の気配を感じる。照明も点けず、土足のまま出部屋に入ると、まるで見えているかの様に、はっきりとした足取りで奥に進んだ。そして部屋の片隅にある今では貴重なジッパー式のクローゼットの前に立ち、おもむろにそのジッパーを開放した。 “ドサッ” 中から女性らしき人物が転がり出てくる。その女性は下着だけの半裸状態で、クローゼットの奥にはその女性の物と思われる衣服が丸めて置かれていた。所々破れている箇所が見られる。 洋平は上着を脱ぐと目の前の女性にそっとかけ、首筋に手を当て脈を確認する。そして麻美の方に振り返り小さく頷いた。 麻美が近づき白河緑というのを確認する。そこから先は麻美の独断場だった。てきぱきと辺りにいる者に指示を出し、救急車や警察そして白河の両親に連絡をとる。 警察が到着した時には、全てが綺麗に収まっていて、ただ店長で白川高フ叔父である白河雅人の身柄を拘束しただけだった。 翌日正午を過ぎた頃、洋平と麻美は白河緑の見舞いに行った。彼女は別段大きな外傷も無く大事には至らなかったようだ。思いのほか元気だった。軽く会話を交わし病室を出て廊下を歩いているとき、 「白河さんってお姉さんか妹がいる?」 「そう言えば、五年前に事故でなくなった二つ上のお姉さんがいたと思うけど」 「そうか。じゃああの電話は・・・」 洋平は最後まで言わなかった。 「でもどうしてわかったの?」 それは白河の姉のこと言っているのか、昨夜のことを言っているのか判らなかった。 「昨日どうしてあそこに白河さんがいるとわかったの?」 麻美も洋平が何に対してのものか迷っていると思ったので今度は具体的に聞いてきた。 「あのカラオケ店に行ったのは偶然だと思うけど、昨夜の奇妙な携帯の番号表示と、その後の気味の悪い電話、それと店長の手首の包帯から発していた意味不明の感覚、後は叔父である店長が白河さんの行方不明を知らないはずがないし、そんなことを照らし合わせると頭の中で何かが一つに繋がって・・・。後は説明が難しいけど解ってしまったという感じかな」 解ったような解らないような、釈然としない麻美は、 「それにあの時洋ちゃんの瞳・・・」 途中で会話を止める。昨夜の洋平の身に起きた出来事が本当にそうだったのか確信が持てなかったのだ。しばらく二人は無言のまま廊下を歩いていると。 『ありがとう。』 誰の声とも判らない、流れるような声が洋平の耳を心地よく通り抜けていった。足を止め振り返る。 「どうしたの?」 麻美が急に立ち止まった洋平に言った。 「何でもない」 空耳と思ったのか、再び前を向き歩き始める。その後で白河緑によく似た優しい顔をした女性が微笑みの眼差しで洋平の背中を見つめていた。 洋平も背中越しに優しい気配を感じて、気持ちも晴れやかに足取りも軽くなって来る。その時の洋平の瞳は日本人特有の漆黒の瞳をしていた。 エピソード1 完 |