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短編ホラー

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雨の夜に(4分ホラー)





   

雨がパラパラと降り始めた。現在午後六時。自宅まで約一〇〇q。午後八時までには家に帰りたかったがこのままでは難しそうだ。どんよりとした空と山中ということのあり、当たり全体が薄暗く感じられ、風も強くなってきたので高速道路を使って帰ろうかとも思ったが、時折吹く強風に軽量の二五〇tバイクでは煽られそうなので、仕方なく国道をゆっくりと帰ることにした。道端に一旦停車しレインコートを服の上から着ると再び走り出す。



二泊三日のソロツーリング。初日は朝から快晴で、リアシートにテントと寝袋、簡易キャンプグッズを積み込み、意気揚々とバイクに跨り気持ちよくスタートした。初夏の清々しい風に当たりながらのライディングはバイク乗りにしかわからない何とも言えない感覚だ。

大した目的もなく只単にバイクで走りたかっただけなので、ひたすら交通量の少ない舗装された奇麗な山道を軽快に走り続けた。最寄りの神社やお寺に立ち寄ったり、ご当地名物巡りをしたりしながら、初日だけで三〇〇q以上走り、この日は最寄りのキャンプ場でテント張った。二日目も天気が良く、勢いで更に仮に立てていた予定より遠くまで足を延ばした。着の身着のままな一人旅なのでそれも良しと呑気に考えていたが、それが良くなかった。その日の夜に張ったテントの中で翌日の天気を確認していると。明日まで晴だった天気予報が夕方から天気が崩れるという雨予報に代わっていた。午後四時頃には帰宅する予定だったのだが、足を延ばしすぎたのか大幅に遅れて今に至っている。



一〇分も走っただろうか、急に雨脚が強くなってきたので、どこか雨宿りできそうなところが無いか探しながら走る。国道とはいえ県北の山間部であるため建物らしいものが見当たらない。薄暗さと雨ということも相まって心細さは一入だ。そんな中しばらく走っていると無人駅らしき建物を見つけたので立ち寄ることにした。その建物の前には1台のバイクが停まっていた。同じように雨宿りを考えての事だろう。この寂しい状況の中人がいると思うだけで多少の安堵感を感じた。

停っていたバイクのすぐ横に停車しヘルメットを被ったまま構内に走り込む。構内に入りヘルメットを脱ぐと、雨に濡れた体を軽く叩き水分を飛ばし一息付く様に大きく息を吐いた。止めてあったバイクの持ち主を探そうとあたりを見回してみるが人のいる気配はない。

窮屈なレインコートを脱ぐと軽く首や肩を動かしストレッチの動作をして、再び当たりを見回す。人の気配は感じられない。

(トイレにでも行っているのか?)

と思い、近くの自動販売機でホットコーヒーを買って、構内のベンチに腰を掛けて体を温めることにする。

外を見ると大粒の雨が仕切りなしに降り注ぎ、ものの数秒で全身がずぶ濡れになりそうな勢いだ。

(雨が止まなかったら、今日はここに野宿しようかな? 一日予備日も取ってるし。)

そんなことを考えながら、温かいコーヒーを胃に流し込み恨みがましく空を見上げる。

どれくらい経っただろう。暖かかったコーヒーは既に冷めていて、雨も少し弱まってきた。この調子なら家に帰れるかも! そんな期待を抱きながらバイクを停めていた駐輪場に目を向ける。そこには二台のバイクが停まっている。

そういえば、もう一台のバイクの持ち主はどこに行ったのだろう? ここに入ってから素手に三〇分以上は過ぎている。どこか仮眠のとれる場所でもあるのだろうか? それともどこかで倒れているのだろうか? 

気になったので構外に隣接しているトイレに行ってみることにした。庇を潜って隣に行けるので雨に濡れる心配はなかったが、大雨が降ったせいか足元は水浸しになっている。

男子トイレには誰もいなかった。ということはバイクの持ち主は女性なのかと思ったが、女子トイレに入るわけにもいかず、トイレの入り口で立ち竦んでいると、女子トイレの中から扉の開く音が聞こえた。別にやましいことをしているわけではないのだが、焦ったようにその場から離れ構内に戻る。

しばらく待ってみたが、人が来る気配はなく、気が付けばバイクが一台しか停まっていない。自分のバイクだけだ。

頭を捻って考えてみたが、確かに先程までバイクは二台あった。仮に先に出て行ったとしても車と異なりバイクの排気音は割と大きく、大雨の中でもこの距離でエンジンが掛かれば流石にわかる。

急に背中に悪寒が走り出した。いやな感覚が脳裏をよぎり、当たりは一層暗くなり人どころか動物さえいないこの状況に恐怖感と気持ち悪さを感じる。小雨になってきたこともあり急いでレインコートを着て、ヘルメットを被ると早歩きでバイクに近づく。すぐさまバイクに跨りキーを差し込んでセルボタンを押す。心地よいサウンド音が響き渡る。この音を聞いているだけで少し落ち着いた。が、アイドリングをしている間にエンジンが止まってしまった。

「?」

再度セルボタンを押すが、今度はエンジンが掛からない。セルモーターが「キュイン、キュイン」と悲しい音を奏でるだけだった。余りやりすぎてバッテリーが上がってしまっては元も子のない。最近のバイクはインジェクション仕様なので昔のように押し掛けもできない。こんな山中でそれは避けたかった。

本当はよくないことだとは思ったが、思考回路の低下と自分以外誰もいないということもありバイクに雨が直接当たらないように庇の下に入れ込む。ふと前を見ると目の前にはトイレの入り口が何もかも吸い込んでしまうのではと思うほどの漆黒の闇をこちらに向けていた。自動点灯なので誰もいなければ灯りは点かない。

「?」

脳裏に疑問がよぎった。先ほど行ったとき女子トイレに灯りは点いていなかった。ではあの扉が開く音は何だったのだろう? 風で開いたのか? 男子トイレでは風が回り込んでいるような感じはなかったので風で開け閉めが起こったとは考えにくい。

視野の範囲内で何かが光った。視線をその方向に向ける。視線の先にあるトイレに灯りが点いていた。それも女子トイレだけに。今自分以外この場所にはだれもいないはず、なぜ灯りが……。

頭の中が一瞬で恐怖回路に埋め尽くされた。こうなると人は弱いもので、何を見ても、何を聞いても、何を感じても恐怖が先行され、他愛もないことに敏感に反応してしまう。雨粒が落ちる音が血の滴る音に聞こえたり、風で揺れている幟を浮遊している何かと勘違いしたり、自分自身を恐怖に対してマインドコントロールしているようだ。

当たりは真っ暗で無人駅構内の灯りが逆に怪しく光っているように感じられる。更に誰もいないはずのトイレの灯りがオカルト映画のシチュエーションの雰囲気を醸し出しいて一層気持ちを良からぬ方向に煽っていた。

しばらくして脳内の恐怖に対する麻痺が緩和してくると、少し落ち着いてきたのか再度セルボタンを押した。

「キュイン、キュイン……ブォーン」

今度はエンジンに火が入った。少しアクセルを開け、一気にエンジンを温める。すぐさまバイクに跨りシフトを入れると、ゆっくりとクラッチを繋いだ。バイクが動き出すと、一気にアクセルを開け加速する。早くこの場から離れたかった。数メートル走ったところでようやく落ち着いてきたのでサイドミラーで後方を確認すると構内の照明が切れたのか急に暗くなって何も見えない。しかし何かの灯りが移動しているように見えた。しかもこちらに向かっているようで、車両のヘッドライトのように見える。灯りが一つということはバイクである可能性が高かった。

(先程無人駅に停まっていたバイク?)

確か丸目一灯のヘッドライトだったはず。そんなことを考えているうちに、その灯りが少しずつ近づいてくる。ミラー越しに見えていた灯りがあっという間にこのバイクを照らす距離まで詰め寄ってきたかと思うと、右横を一筋の風のように抜き去っていった。

その時真赤なライダースーツに身を包んだ女性らしき人物が乗っているような気がしたが、追い抜かれたとたん灯りと共にバイクも視界から見えなくなった。突然消えたように。

背中から腰に掛けて何かが纏わりつくような感覚に襲われ身体が急に重くなった。ミラー越しに背後を確認してみたがテールランプの赤い光の残像が幽かに見えるだけだ。

「!」

上半身を何かが締め付ける感覚に襲われた。視線を腰のあたりに向けると、あるものが目に入り頭の中が一瞬でパニックに陥った。見間違いと思いたかったが、それが視界を侵食するように広がってくる。左側は腰から、右側は肩から伸びてくるそれは、真赤なライダースーツの袖だった。後ろから肩越しに抱き着かれているような格好になっていて、背中に走る悪寒が全身に伝染したのか、身体の震えが止まらなくなっている。意識すら可笑しくなってきそうだった。

「プー! プップー! プップー!」

けたたましくクラクションが鳴り響いた。その音で意識が覚醒すると、目の前に車のヘッドライトが間近に迫っているのが見えた。センターラインを大きくはみ出して走行していたようで慌てて減速し走行レーンに戻る。すれ違いざまに少し派手なトラックの運転手が何かを言っていたようだが聞き取ることできなかった。

肩で大きく息をすると、背中が軽くなっている事に気付いた。視界に赤いライダースーツも見えない。ここぞとばかりに加速して最寄りの街を目指した。

どれくらい走っただろう。少し先に灯りが広がっているのが見えた。その灯りの塊に近づくとそれはコンビニだった。そのコンビの先にも灯りが連なっている。何とか町にたどり着いたようだ。コンビニにバイクを停めると、中に数人のお客が確認できた。何より人工的な灯りが気持ちに余裕を持たせてくれる。路面は濡れているが雨は降っていないようだ。先程まで真っ暗だと思っていた空はまだ幽かに明るさを保っている。

数時間前の事は何だったのだろう? 夢? 妄想? 心が病んでいるのか? そんなことを考えながら明るいコンビニの前でドリップされたホットコーヒーを飲み、冷え切った身体を温めると遅い家路についた。

翌日テレビを見ていると、昨夜通った県北の国道で事故があったらしく、大破した小型トラックの映像が映されていた。見覚えのあるトラックで、その映像のフロントガラスには赤い色をしたライダースーツの袖の部分がへばりつくように映っていた。









+1分


あれから一ヶ月が過ぎた。あれ以来夜間バイクで走る事が殆ど無くなってきたが、休日の昼間は仲間とツーリングに行ったり、最近できた彼女とタンデムで近場を走ったりしている。彼女とは二週間程前に行きつけのバイクショップで知り合った。二輪免許の教習を今受けているらしく、免許を取得したら欲しいバイクが自分の乗っているものと同じということで、色々と話をしている間に意気投合し付き合うことになった。

来週には免許を取得できそうなので、今一緒にバイクショップでヘルメットやグローブなどを見に来ている。赤を基調としたトリコロールデザインのヘルメットを手に取り、まじまじと見ていたが、金額を見てそっと返した。

「バイク用品って結構高いんだね。一通りそろえると幾ら位掛かるのかな?」

「最初はそれほど高いものはいらないよ。自分に合ったサイズや使い勝手の良いもので少し金額を下げて買えばいいと思う」

「そうだよね。バイクに慣れてきたらまた好みも変わってくるかもしれないしね。あっ! このライダースーツ可愛い!」

 ヘルメット横のマネキンが着ていたライダースーツを見て目を輝かせている。そんな姿をよそ眼に、

「ちょっとトイレに行ってくる」

 そう言って少し離れ、店舗の外にあるトイレに向かった。数分で戻ってきたが彼女の姿が見えない。奥の試着室の前に彼女の靴が置かれている。何かを試着していたようだ。

 そうしているうちに目の前のカーテンがサーッと開いた。

「!」

 真赤なライダースーツを身に纏った彼女の姿に、あの時の記憶が鮮明に呼び起こされた。脈拍が早くなっているのが分かる。

「結構いいんじゃない!」

 彼女に悟られないように軽く笑みを作って、さり気なく言葉を投げかけた。先日事故にあったトラックのフロントガラスにへばりつくように映っていたライダースーツと同じデザイン同じ色にあの時の恐怖がフラッシュバックする。

 あの時幽かに見たヘルメット越しの女性の顔と、今目の前にいる彼女の顔が完全に一致した。

「まさか?」

 その言葉に反応した目の前の彼女の笑みにあの時の同じ悪寒を全身に感じた。